「人とは違う」が当たり前のアメリカ

日本にもアメリカにも良いところもあれば、こういうところはちょっと・・・と思うこともある。

日本にいて窮屈に思うことは、「人と違うこと」が悪いことのように扱われることだ。

人と違うことをしていると、変わり者扱いや常識がない人と思われることが多いような気がする。

大好きな金子みすゞの詩がある

わたしと小鳥と鈴と

「わたしが両手をひろげても、 お空はちっとも飛べないが、 飛べる小鳥はわたしのように、 地面(じべた)をはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、 きれいな音は出ないけど、 あの鳴る鈴はわたしのように、 たくさんなうたは知らないよ。

鈴と、小鳥と、それからわたし、 みんなちがって、みんないい。」

みんな違って、みんないいのだ。

でも日本では「みんなと違うとちょっと変」になってしまう。

アメリカは「人と違う」が当たり前

先日、海が働いている畑でクリスマスパーティーがあった。

毎年レストランで開くパーティーだが、今年はコロナの影響で畑の敷地内での開催だった。

仕事の合間のランチブレイクにフードトラックを呼んでのランチパーティー

畑の敷地内にテントを張って、立ったままでの簡単な立食パーティーだった。

みんなフードトラックで好きなものをオーダーし、お会計はもちろん会社持ちだ。

アルバイトで来ている20歳の女の子が、オーダーしたのはフライドチキンとフライドポテト。

彼女はテントの真ん中でフライドチキンやポテトにつけるケチャップなどを少し湿っている土というか砂利の上に置き、自分も膝をついて食べ始めた。

みんな一瞬「えっ」という雰囲気になったが、すぐに何事もなかったような雰囲気に戻った。

宗教的なのか?家庭での決まりごとなのか?は分からないが、食事は座って食べなくてはいけないのだろう。

たぶん日本人だったら出来ない行動だと思う。

そして日本だったら、周りにいる人たちが陰口をたたき異様な雰囲気になってしまっていたと思う。

 

アメリカは移民の国なので、人と違うのは当たり前だ。

肌の色、髪の毛の色、言葉、宗教・・・

信じているものや常識、みんなと同じなんて最初からない。

だから人とは違う「自分」は恥ずかしいことでもないし、変人扱いされることもない。

日本は島国だからこそ良いところもたくさんある。

「あ・うんの呼吸」や「人の心を読む力」など、日本人はとても長けていると思う。

でも少しだけ日本人も「自分とは違う人」を見る目が優しくなれば良いなと思ったパーティーでの出来事だった。