普段あまり意識して使いわけをしていない「仕事」と「労働」だが、最近違いを感じる。
はっきり言うと、一生仕事はしていきたいが、もう労働はしたくない。
これは海自身の感覚の問題で、2つの言葉を実際に辞書で調べてみるとちょっとニュアンスが海の感覚とは違う。
仕事は生活していくための価値ある動作。
労働は生活をしていくために価値をお金に変える動作。
実際の言葉の意味は違うかもしれないが、海にとってはこんな感覚である。
今の職場はかなり仕事に近い労働だ。
農業という職種が仕事に近いと思われるかもしれないが家庭菜園と違い、農を業とするとほとんどの作業が労働だ。
とくにアメリカは分業作業が多いので、1つの仕事を永遠とやるということになる。
海が働いている農場は水耕栽培のグリーンハウスと露地栽培をしている。
5年以上水耕栽培で働いていたが、この時は労働であった。
流れ作業の一員となり、単純短調な作業を1日中やっていた。
1年前から責任ある今の仕事、CSAのメンバーのお客さんの野菜を育て、収穫し、提供するということを任されている。
毎日自分で予定を立て考えながら仕事が出来ている。
天気をチェックし、必要な収穫の日を決めたり、時間や作業工程など毎日組み立てながら仕事ができる。
1年やってきて仕事の流れがわかるようになったので、種播きなども自由にさせてもらえるようになった。
農作業をしていると、1日があっという間だ。
そして心がとても穏やかだ。
去年の10月から、海が大黒柱になっている。
夫の空は仕事を辞めて、家のことをやってくれている。
海が嫌な労働をやっていたら、「空が働いてくれたら、もっと楽ができるのに」と思っていたと思う。
働くことが楽しくてまったく嫌じゃないので、家事をしてくれていることに感謝ができる。
毎日家に帰ってきて、何もしないで食事ができる幸福感。
週末に掃除をしなくても良い、開放感。
逆に今まで仕事をしながら、よく家事もこなしていたなと感心している。
だから毎日が幸せである。
でもこれからはもっと、労働を少なくしていきたいと考えている。
理想は100%仕事をしながらの生活だ。
そのために今、いろいろなことを考えている。
「一生仕事をしていきたい」
これは10代の時から思っていたことだ。
今年から仕事と労働のパーセンテージを少しでも変えていきたい。
まずは10%仕事、90%労働から・・・