海は語学学校での学生生活を楽しんでいた。
クラスメートがかなり面白いメンバーだったからだ。
トルコ人のやんちゃな男の子、音楽家の韓国人のおじさん、ラグビーの監督をしてた海と同世代の韓国人男性、この学校には珍しいスペイン人、エルサルバドルの少年。
海は少しだけスペイン語が話せるので、スペイン語の上達としてスペイン人のことエルサルバドルの子にはスペイン語で話しかけた。
海は女子より男子との方が話がはずむ。
女子が興味を持つことに興味がないからだ。
スポーツなどの話題の方が断然楽しい。
海のクラスは10段階に分かれている下から2番目のビギナーのクラスだ。
みんな英語が下手くそだ。
クラス全体(女子も含め)とても仲が良くて、休み時間もみんなで輪になっておしゃべりをしていた。
みんな英語が下手くそだから、会話の半分はジュスチャーだ。
どんな会話をしていたかは忘れたが、みんな大笑いをしながら休み時間を過ごした。
他のクラスは小さなグループができており、休み時間はそれぞれのグループで過ごしていた。
35歳 駐在員の妻
海は日本語で声をかけられた。
「日本の人ですよね?」
声をかけてきたのは海と同じ年、なんと誕生日も1日違いの女性だった。
「先生からあなたのことを聞いて・・・ちょっと助けてもらえませんか?」
旦那さんの海外出張についてきた、いわゆる駐在員の妻という肩書きの人だった。
彼女は働いたことがなく、勉強しかしたことがないという。
結婚した後もずっと大学院で勉強をしていたという才女である。
海とはまったく違う生き方をしてきた人だった。
話を聞くと、彼女はかなり英語ができた。
読み書きはもちろん、文法なども完璧だ。
ずっと勉強をしてきた彼女にとっては、当たり前の英語力らしかった。
しかし全く授業についていけないという。
「先生やクラスの子達がなんて言っているのか、全く聞き取れないんです。宿題も何が出たのかわからず、授業にまったくついていけないんです。」
彼女はかなり上のクラスだった。
10段階のクラス分けで、海は2で、彼女は7だった。
「クラスを少し下げてもらったらどうですか?」
海は提案してみたが、彼女は「自分は英語ができる」というプライドがあったらしく海の提案は却下された。
海は「何かあったらいつでも言ってください。私ができることがあったら協力します。」
これしか言えなかった。
プライドとの戦い
数日後、彼女が海のところへ来た。
「海さんの言う通り、クラスを変えてもらいました。」
少し低いクラスになったおかげで、だいぶ授業についていけるようになったようだった。
今度は愚痴をぶつけてきた。
自分の意思でアメリカに来たわけではなく、旦那さんの都合でのアメリカ生活なので、かなり不満が溜まっているようだった。
彼女の一番の不満は、自分の着たい洋服が着られないことだった。
海が一番苦手な話題だ。
海は洋服などにほとんど興味がない。
日本にいるときは、メンズ物(お古)を着ていることが多かった。
彼女は80年代後半から90年代前半に流行ったボディコンファッションが好きなようだ。
ボディコンとは体にぴったりとしたワンピースの洋服だ。
ボディコンとハイヒールが彼女の日常のスタイルだったらしい。
語学学校に来た初日、みんながジーパンにスニーカーという格好だったので、自分は浮いていると感じたらしい。
そして急いで若者たちと同じような洋服を買いに行ったと言っていた。
彼女の人生で生まれて初めてのジーンズ&スニーカー。
彼女が学生スタイルと呼ぶこのスタイルが嫌で嫌で仕方がないというのだ。
「ここはアメリカですよ。周りのことは気にせず自分の好きなスタイルで登校したら良いですよ。」
「最初はジロジロ見られるかもしれないけど、そのうち平気になりますよ。洋服でストレスを溜めるなんて馬鹿みたいじゃないですか。」
彼女は「でも・・・。そうすると・・・。できればそうしたいけど・・・」
結局ジーンズとスニーカーのスタイルで我慢するという。
彼女は35歳という年齢もとても気にしていた。
ストレスは病気の元凶
しばらくして学校で彼女を見かけなくなった。
海は気になって彼女の携帯電話に電話をしてみた。
出ない。
数日後、彼女のクラスの先生に聞いてみた。
「なんだか体調が悪いからしばらく休むと旦那さんから連絡あったよ。」
海はもう一度彼女の携帯に電話をしてみた。
すると旦那さんが出た。
「彼女は急に片耳が聞こえなくなってしまって日本に帰ったんです。」
まさにストレス性の難聴になってしまったようだ。
35歳で留学生をやるのは難しいのか?
若い時と違って、環境に適応するのは大変なのか?
いや、海は楽しんでいる。
35歳で留学生になるのにプライドはいらない。