後悔しない親との関係

「無理をしてでもあの時、一緒に旅行に行って良かった」

母をスペインとフランスに連れて行った。

海は東京のど真ん中で営んでいた飲食店をやめる決意をしていた。

一緒にお店を持っていた元パートナーは、ビジネスパートナーとしては最高の人だったが、プライベートでは問題がありすぎだった。

話し合いの結果、お店を始めた8月いっぱいでやめることになった。

丸10年だ。

大好きだった自分のお店を離れることを決意するのには、かなりの時間がかかったが、10年間頑張ったという達成感が気持ちを押してくれた。

ヨーロッパの一番いい季節、6月に旅行をすることになった。

「この機会を逃したら、一生母をヨーロッパに連れて行ってあげられない」

お店を経営していた海は、今より自由に使えるお金があった。

 

母の夢

コーヒーとパンが大好きな母は、TVで見るようなヨーロッパの街角のカフェで朝食を食べるのが若い頃からの夢だと言っていた。

この夢を叶えるために、スペインとフランスを選んだ。

海は贅沢にも毎年2ヶ月お店を閉めて、ヨーロッパに旅へ行っていた。

スペインには6回、フランスにも2回は行っている。

独学で勉強したスペイン語も旅行で使うのには困らない程度になった。

「お母さん、私と一緒に行く旅はホテルは取っておくけどそれ以外の予定は未定、タクシーも使わないからね」

旅行好きの母は、毎年のように友達と団体ツアーの旅行をしていた。

個人旅行でしかできないことを母に味わってほしかったのだ。

時間に追われない、地元の人たちが集まるようなカフェやレストランで食事をするなど・・・

フランスを拠点に途中でスペインに行く行程にした。

母を一番喜ばせたのは、フランスの老舗のカフェでの朝食だった。

コーヒーとクロックムッシュ、クロワッサン。

「本当に夢見たい。こんな朝食をしてみたかった」

母は大感激だった。

そしてフランスに着いてから母の希望を聞いた。

「ベルサイユ宮殿に行きたい。もちろん連れて行ってくれるでしょう?」

まったく観光名所に興味のなかった海は、まったく考えてもみなかった。

ホテルの人に行き方を聞き、地下鉄とバスに乗ってなんとかたどり着いた。

団体ツアーとは違い、ゆっくり好きなだけ時間を使えるので、ここでも母を喜ばせることができた。

スペインでは、海の大好きなレストランに連れて行ったり、古城ホテル・パラドールに泊まったり、お世話になっている人の家にお邪魔したり、盛りだくさんだった。

日本に帰る前日は日曜日だった。

フランスの街はどこも閉まっている。

公園のベンチに座って、子供達が噴水で遊んでいるのを母と2人で眺めていた。

「こんなにのんびりとした旅をしたのは生まれて初めて。こんな経験は海とでないと出来ないね。本当にありがとう」

空港で荷物が出てこなかったり、パラドールに行くために1回だけ使ったタクシーで騙されそうになったり、旅にはつき物のトラブルも良い思い出となった。

 

母の大事故

旅が大好きだった母も70歳を過ぎてからは、国内旅行ばかりになっていた。

「海外旅行はもういいかな?行きたいとしたらハワイだな。キラウエア火山に行きたいくらい」

この夢を叶えてあげようと、海は家族旅行を企画した。

夫、空が運転手として協力してくれると言ってくれた。

ワイ島の一軒家を借り、レンタカーを予約して、海の手作りの「ハワイの小冊子」も用意した。

ハワイ旅行の2週間前、早朝姉から電話があった。

朝の一番忙しい時間だったので、いつもなら無視をしてあとからかけ直す。

その時は、なんとなく嫌な予感がしてすぐに電話を取った。

「お母さんが事故った。詳しい状況はわからないけど、今警察のひとから連絡がきたから、これから病院に行ってくる。」

「たぶんに旅行には行けないから、ハワイの件はすべてキャンセルして」

母は大事故を起こしてしまった。

首の骨骨折、頚椎損傷。

命を落としてもおかしくないくらいの大事故だった。

「命は助かりましたが、目標は車椅子生活だと思ってください」

手術をする前の説明で医者に言われた言葉だ。

首にボルトを9本入れて固定する大手術をした。

まさかこんな形で母の介護がスタートするとは、全く想像していなかった。

 

母への思い

母は今もリハビリを頑張っている。

約9ヶ月の入院で奇跡的に歩けるようになった。

退院した20日後、転倒して大腿骨骨折。

2度目の入院で、ストレスからか?脳梗塞を起こしてしまった。

頚椎損傷で左半身麻痺、脳梗塞で右半身麻痺になってしまった。

それでも弱音を吐きながらも、リハビリを頑張っている。

「お母さん、まだ最後の海外旅行のハワイに行ってないよ。家族みんなで絶対に行こうね」

77歳の母は、これから大復活することは難しいかもしれない。

でも家族みんな諦めてはいない。

車椅子でも良いから、ハワイに連れて行ってあげたい。

体が自由に動かなくなった母は、思い出話がたくさんできることを喜んでいる。

国内も海外もたくさん旅行に行った。

お正月恒例の家族旅行も7、8年は続いた。

楽しかった思い出はたくさんある。

「あの時にスペインとフランスに連れて行けて本当に良かった」

当時の海はお店をやめる決意は固めていたが、精神的にとても辛かった。

お店をやめる2ヶ月前というタイミングも海にとっては大変だった。

でもあの時に

「今、連れて行かなかったら、一生連れて行けないかもしれない」

と思ったのだ。

その通りだった。

お店をやめアメリカに語学留学した海は、貯金をほぼ学費で使ってしまった。

あのタイミングで連れて行かなかったら、無理だった。

人生は何が起こるかわからないということを母の事故から身を以て教えてもらった。

たとえハワイに連れて行けなくても、あの旅のおかげで母との旅の思い出は完結している。

後悔は全くない。