金の切れ目が縁の切れ目

2年半でやっと示談が成立した!!

実家の母が事故を起こして2年半が経過した。

2018年の8月の終わりに車で大事故を起こしてしまった。

友達を2人連れて温泉旅行に行ったのだ。

旅館の駐車場に着いてから「魔が差した」

高齢者の運転でよくニュースになる、アクセルとブレーキを踏み間違える事故だった。

母のとっさの判断で、玄関に突っ込むことはなく玄関脇の岩に激突した。

3人の旅行で一番の大怪我は母だった。

命を落としてもおかしくないくらいの事故だったので、友人たちに怪我をさせてしまったが、死者を出さなくて本当に良かった。

 

一番怪我が軽かった友人とはいつも順番で車を出している。

近場は友人、山歩きに行くときや遠出をするときはいつも母が運転していたようだ。

その友人は「お互い様、私が事故を起こしていたかもしれないのだから」といって、すぐに示談をしてくれた。

もう一人の友人は、母とは中学生からの付き合いで60年以上。

お互いに姉妹のようなお付き合いをしていた。

この友人は運転ができないので、美容院や鍼灸院に行く時、買い物にいくとき、母が送り迎えをしていた。

「車の運転ができなくて、どこにも行けなくて可哀想だから」

母はこう言って、いつもその友人を誘って遊びに行ってた。

今回の温泉旅行は、この友人のお願いだった。

家族とのトラブルでストレスが溜まっているので、どこでもいいから1泊旅行に連れて行ってとのことだった。

家庭の事情を知っている母は、やはり「可哀想だから」とあまり乗り気ではなかったが1泊旅行に出かけた。

彼女は骨折などはしてしまったが、4ヶ月ほど入院して元のように歩けるようになった。

ご家族も最初は「お互い様だから」と言ってくださり、とても安心したのもつかの間、急に態度が変わり、お金の亡者に変身した。

長男の人は土建屋を経営していて、自分の会社の顧問弁護士からいろいろなアドバイスをもらったようだ。

保険会社の人も、「お友達同士で弁護士をつけてくるのは稀ですよ」と言っていた。

この友人はリュウマチも持病で持っているので、後遺症で痛いのか?リュウマチで痛いのかの判断も難しい。

 

私たちの家族は出来る限りのことをさせてもらった。

怪我をさせてしまってすぐ、入院中に必要なものを用意できるように、少しまとまったお金を包みすぐにお見舞いに行った。

そして毎週のように必要と思われるものを持ってお見舞いに行ったりしていた。

海がアメリカに少し戻った際には、家族の人にお菓子やちょっとしたお土産なども買って帰り、自分たちが思いつくことはなんでもやった。

すぐに示談をしてくれた友人は「もう気を使わなくて良いから、これで終わりにして」と言ってくれて、今では今まで通り遊びに来てくれる。

庭いじりができなくなった母の代わりに、草むしりに来てくれたりする。

今までは母との交流だけだったが、姉がたまに様子を見に行ったり、一緒に食事をしたり、私たちとも良い関係が築けるようになった。

一方、言い出しっぺの友人の方は姉も私も親戚の叔母のように慕っていたのに、今では不快感を覚えるようになってしまった。

かなり高額な保険料が支払われたが、弁護士を通じて「もっと、もっと」と釣り上げ、慰謝料を含め何千万円単位のお金が動いた。

それでも足りないとゴネられて、示談までに2年半もかかってしまった。

その間、保険会社の担当者が次々と変わり姉のストレスは相当なものだった。

 

もちろん事故を起こしてしまったのは母だ。

怪我をさせてしまったのは母だ。

最初は申し訳ない気分でいっぱいだったが、ここまでゴネられると

「母に旅行に連れて行ってなんて言わなければ・・・」

という気持ちがついつい出てしまう。

 

「当たり屋に当たっちゃった感じだよ。示談が済んだらもう縁を切るよ」

姉はもうすでに携帯の中に入っているこの家族の電話番号を全て消去したらしい。

60年以上の友情も母の中で壊れてしまった。

「できる限りのことはしたし、もう縁を切って事故のことは忘れよう」

 

母は障害者2級で、要介護認定は4。

今は一人でトイレにも行けず、母の生活のすべてに介助が必要だ。

でもこの大怪我のおかげで私たちの家族の絆はとても強くなった。

そして思いやりの心も感謝の心も今まで以上だ。

家族の合言葉は「笑顔と感謝」

これからも前だけを向いて、楽しんで生きて行こう!!