「人はこんなにも変われるんだ」
びっくりするくらい変わったのが5歳年上の海の姉だ。
まったく何も出来なかった姉が、家事をしながら母の介護をしてくれている。
母がよく「甘やかして育ててしまった」と言っていた通り、まったく何もしない、できない姉だった。
姉がちいさいころ、ハサミや包丁など興味を持った時に「危ない」と言って触らせなかったら、大きくなって何もしない子になった・・・らしい。
5歳離れて生まれた海にはそういう失敗をしないようにと、興味を持った時に何でもやらせてくれて、中学生のころには家族のために料理をしていた。
そして高校生になると、家事は完全に母との共同作業。
「海、今日は何時に家を出て、何時に帰ってくる?」
学校がある平日はもちろん母がやってくれるが、休みの日になると、遅く家を出るほうが洗濯をやり、早く帰ってきた方が夕ご飯を作るという感じになっていた。
姉は小さなころから容姿が男の子っぽかったので、女子校に通っていた時は異常にモテていた。
バレンタインデーの時は、紙袋にいっぱいのチョコと手編みのセーターなどを持って帰ってきた。
社会人になってすぐ4年間ほど隣町で一人暮らしを始めたが、いつも姉のことを面倒をみてくれる友人が数人いて、そういう友人たちにも甘やかされてた。
実家に帰ってきた姉は家事はいっさいやらずに、50歳を超えてしまった。
海が実家に帰ると、母の愚痴を聞くのが仕事。
「まったく何もしないんだよ。洗濯もお風呂洗いも、もちろんご飯を作るのも全部お母さん。ご主人様みたいだよ」
海が11歳のときに父が亡くなっている。
「お父さんがいなくなったら、お姉ちゃんがご主人様みたいになっちゃった」
とよく母が言っていた。
姉もちょっとそういう意識があったのかもしれない。
自分がお母さんを支えているんだと・・・
2018年の9月に母が大怪我をして、障害が残る体になってしまった。
命を落としてもおかしくないくらいの大怪我で、手術をしてくれたお医者さんから
「車椅子生活を目標にしてください」
と言われた。
しかし母の「絶対に元の体に戻る!!」という強い意志とリハビリの結果、奇跡的に歩けるようになった。
しかし退院後19日で家の中で転倒し、骨折そして再入院、入院中に脳梗塞まで起こしてしまい、再起不能かと思われた。
母は強し。
「お姉ちゃんのことが心配で死ぬに死ねない」
と言って、またなんとか歩けるまでになった。
2020年3月までは、日本とアメリカを行ったり来たりする生活をしていた。
入院中の母の病院に毎日行き、家事は海が担当していた。
母が退院してしばらくしてから、「家事をしながら母の面倒をみる」という実感のない姉に実感をもってもらうために、2週間ほど2人で生活してもらい、そしてまた海は日本に帰った。
「もう大変だよ。何を作ったらいいかわからないし、お母さんは食べられないものが多いし」
母の体には麻痺が残っているので、体を動かすための筋肉だけではなく、呼吸筋や飲み込むための喉の筋肉や、排泄をするために必要な腸や膀胱の筋肉なども今までのようなわけにはいかない。
大変なのは大変だ。
でも二人で生活をしてもらうか、母を施設にいれるかしか選択はない。
海がずっと一緒に暮らしていけるわけではないんだから・・・
2020年3月に日本からアメリカに戻って、それ以来日本に帰れなくなってしまった。
もちろん新型コロナのパンデミックの影響だ。
今までまったくやってこなかった家事と母の面倒を姉がすべて一人でやらなくてはならない。
もちろん働きながら・・・
最初の予定では3〜4ヶ月に1度は海が日本に帰って、姉を支えるつもりだった。
それができなくなり、姉の愚痴を聞くのが仕事になった。
毎日、毎日愚痴が止まらない。
愚痴を言っても何も解決しないので、解決策を考えて提案するのだが、
「そんなことはできない。海とは違うんだから、そんなことができるわけない!!」
もう二人の生活に口を出さないようにした。
「海の言動は他人事みたい。一人っ子のように孤独を感じる」
姉は昔から自分の感情をむき出しに家族にぶつけてくる。
だから一緒に住むのはなかなか大変だ。
海が日本に帰っても、姉との生活はストレスが溜まる。2ヶ月が限度だ。
母が元気だった頃は、母と姉の喧嘩が絶えなかった。
姉と喧嘩をしたくないので、姉から何を言われても「一人で母を看てくれている」という感謝を思い出しながら耐えている。
2020年の年末ころから姉の言動が少しずつ変わってきた。
甘えられる人が誰もいない今、ちょっとだけ覚悟(自覚)が出てきたのかもしれない。
食べ歩きが大好きな姉だが、今はほとんど何処へもいけない。
その代わり、最近ではいろいろな料理を作り出した。
最初の頃は、スーパーで買ってきたお惣菜や冷凍食品に頼っていたが、最近は手作りでなんでも作るようになった。
簡単なおせち料理まで作っていた。
母も誉め上手で「お姉ちゃん、天才!!美味しい!!」と言って、喜んで食べているらしい。
先日姉からラインがきた。
「パンを焼こうと思っているんだけど、何を買ってくればいいの?」
「えーーーー、パンを焼くの?」
「うん、新しく買ったレンジで発酵機能もパンを焼く機能もあるみたいだから。お母さんはパンが大好きだから、焼きたてを食べさせてあげたいと思って」
どこにも出かけられず、しかも自分の部屋に行くと一人でトイレに行けない母からしょっちゅう呼び出されるので、料理にハマっているらしい。
姉はものすごい寂しがりやだと思っていたが、母は姉以上に寂しがりやだった。
元気だったころの母は、とても気丈で強かった。
女手一つで育ててくれて、母という鉄の鎧を着ていたのだと思う。
大怪我をして一人で何もできなくなった途端、その鉄の鎧がすべて剥がれ、本当の母が出てきた。
本当の母は泣き虫で寂しがりやで、とても可愛い人だった。
50年以上まったく家事をしてこなかった姉が、全ての家事をこなし、しかも一人では何もできなくなってしまった母のことを面倒をみている。
母が一生懸命姉のためにやってきた半世紀、今は姉が一生懸命に母のために生きている。