「ダメ元だけど、2〜3ヶ月日本に帰ってきてくれないかな?」
姉からこんなメッセージが届いた。
もう1年、日本に帰っていない。
2018年の8月末に母が大事故を起こし、それから入退院を繰り返し、去年から本格的に自宅介護が始まった。
頚椎損傷の麻痺と脳梗塞の麻痺が残っている母を姉が一人で面倒をみている。
それまでの姉はほとんどの家事を母に任せ、実家で悠々自適な独身貴族生活を送っていた。
180度生活が変わってしまって、母の介護はもちろん、今までやってこなかった家事のすべてをやらなくてはならない。
自分の時間を100%自分のためだけに使えていたのが、今は100%母のために時間を割かなければならない。
そんな姉も1年間一人で頑張ってくれている。
文句、愚痴を言いながらも頑張っている。
姉の大変さは本当によく分かる。
本当ならば日本とアメリカを行ったり来たりしながら、一緒に母の面倒をできる限りみるつもりでいた。
でもこの新型コロナのパンデミックで日本に簡単に帰れなくなった。
母のことは大好きだし、もっと一緒に時間を過ごしたいと思っている。
でも海は結婚をしていて、夫、空との生活もある。
空はとても理解があるので、パンデミックが起こる前は日本にちょくちょく帰っていた。
母が事故を起こした後は、2ヶ月ほどアメリカに帰らなかった。
そして日本に帰るたびに、1ヶ月、1ヶ月半ほど滞在していた。
精神的に不安定になり、体が自由に動かせなくなった母を全力で支えていた。
「車椅子を最終目的にしてください」
こんなことを最初に言われたが、なんとか歩行器を使って歩けるまでになった。
精神的にもだいぶ落ち着き、体調を崩すことも少なくなってきた。
母が怪我をしてから、始めようと思っていたフードトラックビジネスを諦め、仕事もやりたいことをやらずにきた。
しばらく日本に帰れないこの状況を「与えられた時間」と思い、思いっきり働くことにした。
そして働かせてもらっている農場で、責任あるポジションに就かせてもらえることができた。
今は簡単に「日本に帰る」ということはできなくなった。
母のことはとても大切だが、空との生活も今の仕事も大切にしたい。
結婚をしていない姉に、そこを理解してもらうのはとても難しい。
今までのように、1〜2ヶ月という単位では帰れない。
「空さんがきちんと稼いでくれているのだから、別に大丈夫でしょう」
姉には海の生活や状況をまったく伝えないので、たぶん「のほほ〜ん」と生活をしていると思っている。
今まで姉に相談をしたり、愚痴ったりしたことは一度もない。
親の介護のことは、本当に難しい。
近くに暮らしていれば、せめて日本に住んでいれば出来ることはたくさんある。
「できる限りやりたい」と思うが、遠く離れて生活をしていると難しい。
自分の中で、「出来ること」と「出来ないこと」を線引きするのも難しいし、それを姉に伝えるのはもっと難しい。
言葉を間違えたら、一気に喧嘩になってしまう。
母の介護生活と自分のアメリカ生活のバランス。
この新型コロナがなければ、もっとバランスを取るのが難しかっただろう。
今は日本に帰ることは感染リスクが高まるので、なるべくしたくない。
絶対にコロナに感染はしたくない。
今回は上手に姉に伝えられた。
「ダメ元だったから大丈夫だよ。海はお母さんとの時間が欲しいよね。人ってないものねだりだね」
ちゃんと理解してもらえた。
今までの海は、「出来ないこと」も無理をしてでもやっていた。
でも今は自分に素直になって「出来ないこと」は「出来ない」って言えるようになった。
これももしかしたら、コロナから教わったことかもしれない。