母の誕生日に思うこと

令和の天皇誕生日、2月23日は母の誕生日である。

子供のころ、「皇太子が天皇になったら、お母さんの誕生日は休みになるね」と言っていたら、母が生きているうちに現実となった。

78歳になる。

2年半前に車で大事故を起こしてしまい、障害が残る体になってしまった。

「車椅子の生活をゴールと考えてください」

最初に手術をしてくれた担当医から言われた言葉だ。

「絶対にもとの体に戻る!!」

母の強い意志で、奇跡的に杖をついて歩けるようになって退院した。

家に帰ってきて19日後に家の中で転倒して、大腿骨を骨折しまた入院。

ストレスのせいか入院中に脳梗塞まで起こしてしまって、再起不能かと思われたが、またなんとか歩けるようになって退院した。

1回目の退院時とは違い、かなり後遺症が残っている。

自分で出来ることは、食事を食べることくらいだ。

最近やっとお箸(補助付き)で食べられるようになったが、エプロンはかかせない。

着替えもトイレも母の生活のすべてに介助が必要だ。

 

最初の大怪我の時は、「絶対に元の体に戻る」という強い気持ちがあったが、脳梗塞を発症して後遺症が残ってから、気持ちが弱くなり精神的に不安定になってしまった。

そしてまた1つ歳をとる。

健康な人でも70代後半になれば、気力も体力も落ちてくる。

最近はどんどん歩けなくなってきているようである。

車椅子生活も視野に入れなくてはならない。

 

母はとても強い人だった。

海が11歳の時に父が亡くなり、それから女手一つで姉と海を育ててくれた。

「片親だからといって後ろ指を指されることのないように」と厳しく育てられた。

絶対に弱みや泣いているところを見せたことはなかった。

大怪我をして、脳梗塞を起こし、本当の母が現れ出してきた。

本当はとても泣き虫で寂しがりやで弱い母だった。

一生懸命強い母を演じていたのだ。

 

母は若い頃、「お母さんは60歳まで生きられるかわからないから、それまでに好きなことをする」と言っていた。

血管が異常に細く、心臓も強くなかったので、あまり長生きが出来ないと思っていたようである。

自分の予想は外れ78年間も生きているが、人生の最終章では不自由な体になってしまった。

母の寿命はいつなのかはわからないが、最後の最後には

「良い人生だった」

と思ってもらいたい。

そのために娘として何が出来るか?考えている。

 

日本に帰れるようになったら、毎日マッサージをしてあげたい。

母の弱さを全部受け止めてあげたい。

毎日、ありがとうを言いたい。