日本に帰れなくなって1年・・・

2020年3月3日に1週間前倒しで日本から帰ってきた。

そして、それ以来日本に帰っていない。

2018年8月末に母が大事故を起こし、それ以来日本とアメリカの行ったり来たり生活が始まった。

入退院を繰り返し、2019年の年末にやっと退院ができて、2020年から本格的な母の自宅介護が始まった。

首の骨骨折、頚椎損傷、大腿骨骨折、脳梗塞

障害者2級、全身の運動機能の麻痺、言語障害が残ってしまった。

母と同居していた姉はずっと母に甘えて暮らしていたので、ほぼ家事をしてこなかった。

そんな姉が仕事をしながら、家事と介護をこなすのは大変だと思い、2020年は頻繁に日本に帰って姉のサポートをするつもりでいた。

 

子離れ出来ない母と親離れ出来ない姉の生活は、今まで険悪だった。

姉を甘やかして育ててしまい、家事をやらせず母がずっとすべての家事をこなし、家事をやらない姉にイライラしていた。

実家暮らしで何不自由ない独身貴族の姉は、口うるさい母の存在にうんざりしていた。

海が実家に帰るたびに二人の愚痴を聞いていた。

どっちもどっち。

結局は二人ともお互いに甘え、お互いを心配しすぎてイライラしているに過ぎない。

そんな親子関係だった。

19歳の時に実家を離れた海は、親離れしている。

2007年に母と旅に行った時「もう海のことは全然心配をしていない。好きなように生きていっていいからね」と言ってくれ、この時、母は海に対しての子離れできたようだ。

それまでは「近くにいてほしい」「せめて日本に住んで欲しい」と言われていたが、日本に納まれない海をやっと受け入れてくれた。

 

海が日本に帰れなくなり、一気にすべてを抱え込んだ姉のストレスは相当なものだ。

今までまったくやってこなかった毎日の食事の準備。

しかも母の食べられるものを作らなくてはならない。

母の着替えの手伝い、トイレの介助、洗面の介助、掃除、洗濯・・・

嫌でも出来なくてもやらなくてはならない。

愚痴と泣き言のオンパレードだった。

 

この1年は、二人にとってとても貴重な時間なような気がしている。

母が姉にやっていたことを今はすべて姉が母にしている。

事故前にはほとんど会話のなかった二人だったが、今は喧嘩はもちろんするが、泣いたり笑ったりしながらお互いのことを想いあって、仲良く暮らしている。

今まで当たり前だと思っていたことが当たり前じゃないことに気がついた姉は、自分がどれほど母に甘えていたのか?自分がどれほど恵まれていたのかを実感している。

とても強くて人に甘えることができなかった母は自分で何も出来なくなった今、やっと「強い母」という鎧を脱いで、本当の自分をさらけ出せるようになった。

そしてお互いがお互いの存在に感謝をしている。

海が日本に帰れていたら、姉も母ももっと精神的にも肉体的にも楽だったかもしれないが、こんなに良い関係にはなれなかったかもしれない。

全て二人で解決をしていかなければならない環境になったからこそ、いろいろなことを考え、二人で乗り越えて「今」がある。

 

急に体が不自由になり、精神的に不安定だった母は体調を崩しがちだったが、ようやく最近は体調が整ってきたようだ。

姉も家事や母の介護に慣れ、少しずつペースがつかめてきたようだ。

 

感謝と笑顔

これが我が家のモットーだ。

 

すべての出来事には意味がある。

今日本に帰れないのも、母に会えないのも・・・

この1年自分を見直し、人生、家族、幸せ・・・いろいろなことを考えてきた。

1年前より成長した自分を感じている。