スペインが大好きだ!!特にバルセロナが。
スペインには今まで6〜7回行っている。
マドリード、バルセロナ、グラナダ、ジローナ、トレド、セビージャ、イビサ島、フォルメンテーラ島、カナリア諸島・・・
スペインに行った時には、バルセロナに毎回滞在していた。
どこがそんなに好きなのかと考えると難しいのだが、人と空気感としか答えられない。
旅に行く時は、観光地や名所旧跡にはあまり好んでいかないが、市場には必ず行く。
何よりも人との出会いと食べ物が旅の一番の楽しみだからだ。
ここには大好きなレストランがあった。
でも残念ながらスペインがユーロに加盟してから、とてもつまらないお店になってしまった。
最後にバルセロナに行った時は、お店の前だけ通っただけで、寄らずに帰ってきた。
サンホセ市場自体も綺麗に整備されすぎて、観光客は以前より増えたが、魅力がなくなってしまった。
地元の常連客が集まるお店
サンホセ市場の端のほうに、観光客がほとんどいない、でも地元の常連さんでいっぱいなお店を見つけた。
メニューがないので、注文の仕方もわからない。
とりあえず座ってビールを注文した。
100ペセタ、日本円にして100円ほどだ。
そして常連さんが食べている美味しいそうなお皿を指を指して「これが欲しい」と言ってみる。
最初は「変なアジア人が来たな」と怪訝な顔をされたが、ワインを注文し、食べられるだけ次々に注文をしていったら、ちょっとずつお店と常連さんの態度が変わってきたのがわかった。
この時は3人で行って、ビールを1杯ずつ、そしてワインを1人2本ずつくらい飲んだ気がする。
朝から・・・
まだユーロに加盟する前だったので、とても安かった。
ハウスワインは1本300ペセタ、約300円くらいだ。
つまみもかなり頼んで、3人で3000円程度だったと記憶している。
びっくりするほど何を食べても美味しかった。
味、サービス、値段の三拍子そろっているお店を見つけると、常連になりたいと衝動に駆られてしまう。
今まで行ったスペインのバルやレストランでは、最初の日は観光客扱い、2日目は昨日も来た変なアジア人扱い、3日目にはアミーゴ(友達)扱い、そして4日目には常連になれる。
3日、4日目くらいになると、毎日のように来ている地元の常連さんからお酒をご馳走してもらえるようになる。
常連になりたい時のコツは、なるべく同じ時間に通うことだ。
地元の常連さんはだいたい同じ時間にお店にやってくる。その常連さんたちと顔見知りになることがとても大切だ。
サンホセ市場のこのお店にはバルセロナに滞在している間、毎日のように通った。
その度にお酒もおつまみもガンガン頼むので、お店にとっても良いお客だったと思う。
もちろん、すべて残さず綺麗に食べたり飲んだりして帰る。
お金だけ使って、食べ方や飲み方が綺麗じゃないお客にはなりたくない。
大好きなお店にはきちんと敬意を払って食べ物、飲み物を残さない。
するとある常連さんからいい情報をゲットした。
「今度の木曜日には絶対にくるんだよ。ここのおかあが美味しいパエリヤを作るから」
このパエリアが本当に美味しかった。
洗練されているレストランのパエリアではなく、ちょっと贅沢な家庭のとても美味しいパエリヤだった。
まさにお母さんの味。
それから2〜3年に1度の割合でバルセロナに行った。
ここのお母さんが海のことを忘れないで覚えていてくれていた。
「あなたが来るのを待っていたのよ。どうしてた?元気だった?前回来たのは何年前?」
こんなに嬉しいことはない。
バルセロナのレストランで常連客になれたのだ。
ユーロ加盟後のお店
スペインがユーロに加盟してから、サンホセ市場は様変わりした。
公衆衛生の基準がユーロ内で統一されたようで、市場の中のレストランは今時のモダンでお洒落なお店に変わっていた。
そんな中でも海が大好きなお店は外観を変えずに頑張っていた。
でも今までいた地元の常連さんが少ない。
その理由は値段だった。
通貨もペセタからユーロに変わり、すべての値段が値上がりしていた。
そして今までは絶対にありえなかった冷凍のパエリアを提供していた。
観光客が増えて、今まで通りのお店の運営が出来なくなったのだろう。
今まではなかったメニューも出来ていて、いわゆる普通のレストランになってしまっていた。
残念なことに味も落ちている。
キッチンを覗くとお母さんが暗い顔で働いている。
声をかけられなかった。
地元の常連さんが来なくなったので、楽しく話をしながら仕事をすることがなくなったのだろう。
この時、1日だけ食事をしてもう足を向けることはなかった。
そして数年後もう一度サンホセ市場に行ってみた。
すでに市場全体が海が好きだったサンホセ市場ではなくなっていた。
働いている人たちも観光客相手で、人懐っこいサービスが消えていた。
そしてあの店も小綺麗に改装され、もうお母さんの姿は見えなかった。
それ以来、スペインに行く機会もバルセロナに行く機会もなくなってしまった。