アメリカのど田舎でも週3納豆!!

海が住んでいるのはアメリ東海岸の農業の盛んな田舎町だ。

日本の食材を手に入れるのは大変だ。

コロナのパンデミックが起こる前は、親の介護のために日本とアメリカを行ったり来たりの生活をしていた。

日本に帰るたびに、運び屋のように醤油、乾物などを買って帰ってきていた。

今ではアメリカの大手のスーパーマーケットにも、醤油や豆腐、ごま油などは売っている。

本当に困った時にしか買わない。

アメリカ産の醤油や豆腐は美味しくない。

化粧品も買わない、洋服も買わない代わりに食べるものだけにはお金をかける。

でもここには欲しくても手に入らないものが多い。

そういうものは、手作りするしかないのだ。

 

週に1度の手作り納豆

日本にいるときはあまり納豆は食べなかった。

納豆を食べなくても、おかずはいくらでもあるからだ。

海にとっての納豆はおかずがない時のごはんのお供だ。

学校給食で、月に1度くらい納豆の日があった。

家では食べないが給食のおかずが足りないので、その時だけは食べていた。

親もあまり好きじゃなかったのか?家で食べたという記憶が薄い。

今では週に3回は納豆を食べている。

もちろん手作りだ。

200gの有機大豆で、夫婦2人3日分の納豆が作れる。

1週間に1度は、納豆作りだ。

便利な日本にいると、買う方が安くて簡単だ。

でも最近は、なんて贅沢な食事をしているんだろうと思うようになってきた。

有機大豆で作りたての納豆を食べるなんて、日本ではたぶんやらないだろう経験だ。

日本での贅沢な食事とは、高級食材や珍しいものを食べることや外食ではないか?

本当の贅沢な食事とは、一から手間暇をかけて作る毎回味の違う「その時限り」の一品だ。

 

高級レストランのシェフの話

「なぜ毎日母親が作ってくれる食事が飽きないか知っている?」

「それは毎回味が違うからだよ」

ある高級フレンチレストランのシェフの言葉だ。

彼曰く、お味噌汁一つでも母親の体調や気分次第で毎日味が変わる。

薄い日もあれば、しょっぱい日もある。

だから毎日飽きずに食べられるというのだ。

レストランで毎回味が変わっていたら困る。

料理人は毎回同じ美味しい味を出さなければ、お客さんは離れてしまう。

しかし、どんなに美味しいレストランでも毎日行けば飽きてくる。

レストランには変わらない「あの味」を求めて行く。

母の料理の「あの味」は「母の味」

そういえば、実家に帰るたびに母は海の大好物の手料理を作って待っていてくれた。

「今回は、甘すぎちゃった」

「久しぶりに作ったから、なんだか味が決まらなかった」

いつも手料理には言い訳がもれなく付いてきた。

それでも母の味だった。

 

ポルトガルに住んでいる友人の話

ポルトガルの最南端の漁師町に住んでいる友人のところに何度か遊びに行った。

旦那さんがマグロの蓄養の仕事をしていたので、美味しい魚をいつもご馳走になった。

彼らのところにお邪魔をするのは、ヨーロッパへの長旅をしている時に日本食が恋しくなった時だ。

スペインに行った時も、フランスに行った時も寄らせてもらった。

奥さんは手作り豆腐を作ってくれた。

「日本に住んでいる主婦は、とても手抜きをしていると思っちゃうよ」

日本食材が手に入りにくい場所で、日本食を食べるとなると大変だ。

魚も自分でおろし、豆腐は前の日からの準備だ。

作ってくれた豆腐は、今まで食べた中で格別だった。

 

彼女の言葉が今、身に沁みている。

日本食材が手に入りにくい場所で暮らしていると、手抜きをすると和食など食べられない。

美味しい日本食を食べるのには、手間暇をかけるのだ。

日本では味わえない、贅沢な食事をしている気がしている。

 

手作り納豆は毎回出来上がりが違う。

ほとんど糸が引かずに、納豆の香りがする蒸し大豆という場合もある。

糸がちょっと引いただけで、大喜びだ。

食事中、夫婦の会話が絶えることがない。

当たり前に、当たり前のものが食べられないので、食事に対しての感謝の気持ちも大きくなる。

アメリカのこのど田舎で納豆が食べられることだけで、とても幸せだ!!