空と海は長野県のリゾートホテルに2015年11月から翌年の3月末まで4ヶ月間お世話になることが決まった。
アラフィフ夫婦が「リゾバ」だ。
リゾート・アルバイトの略だそうだ。
自分たちの歳を考えると、日本では働けないんじゃないかと思っていた。
そこでの海が考えたのは「英語を生かす」ことだった。
冬に外国人観光客が多い場所はスキーリゾートだ。
中でも北海道と長野県がダントツだった。
「英語を武器にすれば、なんとかいけるんじゃないか?」
この2つの場所から選ぼうと、アルバイトサイトで情報を集めた。
ほとんどの仕事の詳細には良いことしか書いてない。
「こんなことも出来ます、あんなことも出来ます。」
海はそういう情報は好きではない。
若い子が好きそうな釣り文句には引っかからない。
1つのリゾートホテルが目に入った。
そこには良いことは特に書いていなかった。
「こんな仕事をしてもらいます。」
仕事の詳細だけだった。
海はなんとなくそのホテルが気になって連絡をしてみることにした。
前例のない夫婦採用
すぐに電話で連絡をしてみた。
電話口の人の対応、人事の人の電話対応はとても好印象だ。
電話対応はかなり重要だ。
対応が悪いようなら、理由をつけて電話を切るつもりでいた。
人事の人と軽い雑談の後、電話面接になった。
面接の時にこちらから1つだけ条件を出させてもらった。
住み込みのバイトなので、夫婦二人部屋にしてもらうことだ。
さすがに若い子と一緒の部屋で4ヶ月はキツすぎる。
そのあと簡単な職歴をメールした。
後から聞いた話だが、夫婦の採用は前例がないからオーナーとも話し合ったそうだ。
私たちの職歴が必要なポジションとマッチしていたことと、二人とも英語が話せるということで採用してくれたらしい。
英語が話せるのが一人だけなら断るつもりだったと言われた。
空はフロント、海はレストランに配属された。
もちろん寮の部屋は夫婦二人部屋にしてくれた。
しかも普通は4人で使う広い和室を二人だけで使わせてもらえることになった。
海は社会人のスタートは東京のホテルだった。
そしてアメリカでもホテルに勤めていた。
空にとっては初めてのホテルマンだ。
初体験のリゾートホテルのアルバイト
海はホテルマン経験はあったが、都会のシティホテルでしか働いたことはない。
空は日本を飛び出した21歳から30年近く日本で働いた経験がない。
もともと日本に出稼ぎ企画は、空のためのものだった。
アメリカ生活の雲行きが怪しくなり、日本に引き上げる選択を視野に入れ出したからだった。
「日本に住むことも、日本で仕事をすることも想像がつかないよ。」
この言葉で海は日本への出稼ぎを思いついたのだ。
2人ともリゾートホテルでの仕事は初体験だ。
かなりワクワク、ドキドキした。
とてもアットホームな森の中のホテルだ。
外国のお客さんの80%はオーストラリアの人だった。
英語が話せるということで採用をしてもらったが、海はオーストラリア英語に苦戦した。
シドニーやゴールドコーストの人の英語は2、3回聞き直しなんとか聞き取れたが、メルボルンの人の英語は、英語にさえ聞こえなかった。
海は慣れるまでにかなりの時間がかかり、周りの人は、「本当に英語が話せるの?」と思っていたかもしれない。
空は海よりも英語は上手なので、そんなに苦労はしなかったようだ。
空はフロント兼ベルボーイ。
小さなホテルでは兼任していろいろな仕事しなければならない。
空は日本人のお客さんに苦戦したようだ。
日本のお客さんは自分たちを”神様”だと思っている人が多い。
要求と不平不満が多くて、大変だったようだ。
そして全く初めてのホテル業務な上、覚えることがありすぎた。
最初の2ヶ月はかなり大変な思いをしていた。
海はホテル、レストラン経験は豊富なので、仕事を覚えるのは早かったが、細かいルールがたくさんありすぎて、慣れるのに大変だった。
毎年たくさんのアルバイトの子たちが入れ替わるので、決め事をしておいた方が良いのはわかるが、経験者にとっては非効率に感じるルールやどうでもいいようなルールもたくさんあった。
リゾートならではの雪かきの仕事や、温泉掃除、シティホテルでは考えられないお客様へのサービスなどは楽しく、勉強になった。
なんといっても最高だったのは、温泉に入り放題だ。
休みの日はもちろん、仕事が終わった後に入る温泉は最高だった。
これがリゾートで働く醍醐味かもしれない。
日本でのカルチャーショック
海がカルチャーショックを受けたのは、日本の若いアルバイトの子たちだった。
「日本ではあ・うんの呼吸で仕事ができる。」
久しぶりに日本で仕事をする海はこんなことを思っていた。
海が日本のホテルで働いていた時は、あ・うんの呼吸で仕事ができた。
先輩たちがとても仕事ができる人たちだったからかもしれない。
しかし、海の若い頃と今の若い子たちは全く違っていた。
海は昭和の”見て習え”が当たり前だと思っていた。
しかし若い子たちは、指示が出るまで動かない?動けない。
あ・うんの呼吸とはかけ離れ、ギクシャクしていた。
基本的にレストランで働いているのはアルバイトの子たちだ。
長年働いている子もいたが、アルバイトだからという意識なのか?指示を出したりしない。
マネージャーはいるのだが、長い労働時間のホテル業務でいつもいるわけではない。
海と一緒に入ったアルバイトの子たちは、仕事がわからなくても聞くわけでも教わるでもなく、ぼーっと立っているだけだ。
このことにとても驚き、カルチャーショックを受けたのだ。
「言葉が通じるのに聞くこともしないし、仕事を見て覚えるつもりもないんだ。」
海からしたら給料泥棒だ。
日本は悪いアメリカ体質がどんどん普及しているように感じた。
最高の思い出
たった4ヶ月のリゾバ生活だったが、今でも繋がっている素敵な出会いもあった。
オーナー夫妻には時々お食事に招待してもらい、勉強になる話をたくさん聞けた。
地元のパートタイムで働いているおじさん、おばさんたちには優しくしてもらった。
地元出身で社員として働いている子たちは、とても素朴で可愛かった。
海は年上の友人が多く、どちらかというと年下は苦手だった。
年下の子との会話は続いたことがない。
大自然を愛する地元の子とは、会話に困らなかった。
地元のレストランやカフェなどに連れて行ってくれたり、自宅に招待してくれたりした。
大自然の中で、働いたこの経験は最高だった。
空にとっても貴重な体験となった。
「やっぱりまだ日本で暮らせないかも。」
最終的な空の答えだった。
この経験がなかったら、それさえもわからなかった。
空と海は、なんとかアメリカで頑張っていくと決心が固まった2016年の春だった。