最近気がついたこと。
「何事も解決するのが好き」
だから愚痴を聞くのが苦手なのだ。
「愚痴=困ったこと」だ・か・ら、愚痴を聞いたら解決してあげようとしてしまう。
しかし、愚痴を言う人は解決なんて求めていない。ただ聞いて欲しいだけなのかもしれない。
日本にいる姉はとにかく愚痴ばかりだった。
今まで愚痴を言う相手は母だったが、母に言えなくなってからは海にその順番が回ってきた。
2年半ほど我慢をしていたが、ついに「相談にはいつでも乗るけど、もう愚痴は聞きたくない」と伝えたら、「愚痴や泣き言を言えないのなら連絡はもうしない」と言って連絡が途絶えた。
それでもまだ愚痴を聞いてほしかったようで一度連絡があったが、海の気持ちが変わらないのでそれから一切連絡がなくなった。
姉の愚痴を聞いて、その状況をなんとか解決をしようとあれこれ案を出すのだが、「そんなことはできない」「海とは違うのだから・・・」と言われ、何も解決してあげることはできなかった。
愚痴を聞き続けた結果、帯状疱疹が出たり、体調に影響が出てから聞き流すようにした。
そうすると「もっと親身になってほしい」「他人事だと思わないでほしい」と言われ、どうすればいいのかわからなくなった。
愚痴の聞き方ってまったくわからない。
同調、共感すればいいのだろうか?
同調、共感ができない時はどうすればいいのだろうか?
海自身は愚痴は言わない。
言っても意味がないと思ってしまう。
愚痴を言ってスッキリすることは皆無だった。言っている自分も聞いている相手も不愉快になるだけだと思っている。
相談に乗ってもらったことは多々あった。でも最近はほぼ自分で解決出来てしまうので、相談することも少なくなった。
職場の農場で、唯一の日本人の同僚のMさんも愚痴が多い。
本人はまったく愚痴っているつもりはないようだが、海には愚痴に聞こえる。
あまりにも毎回同じことを訴えるので、
「このままではMさんが嫌な思いをするだけだから、マネージャーに相談しましょう。私が伝えましょうか?」
「お願いして良いですか?」
Mさんは姉と違って解決をする方を選んでくれた。
マネージャーにMさんの状況を説明し、どうしたら良いかを相談した。
「じゃあ、今度の金曜日に一緒に現場に行って、解決策を考えよう」
あとはマネージャーとMさんの問題だ。
愚痴は海から離れていった。ここまですればスッキリする。
問題が生じたらすぐに解決策を考える。
解決するのが難しいときは、自分の考え方を改める。
それでも状況が変わらないようなら、その状況から抜け出すか、それが難しい場合はその状況をなかったことにする。
こうやって半世紀生きてきた。
愚痴を聞く苦手意識がなくなったら、きっと愚痴を聞かなくなるような気がする。
ということは、解決しようとするのを止めれば良いのか?
すべてをそういう「現象」と捉え、「そうなんだ〜」と思うだけでいいのかもしれない。
愚痴=その人がそう思っただけの事
同調も共感もいらないのかもしれない。
解決マンが解決しないマンになれる日は?近い将来か???