2018年8月の早朝、日本の姉からの電話だった。
農場で働いている海の朝は早い。
夫、空の食事の用意をしてから仕事に行く。
普段なら電話を無視して後で掛け直すのだが、なんとなく嫌な予感がした。
予感は的中した。
「お母さんが事故った。今警察から電話があったけど、状況がまったくわからないからこれから病院に行ってくる」
母との最後の海外旅行として、2週間後に家族でハワイに行く計画をしていた。
母は首の骨骨折、頚椎損傷。
命を落としてもおかしくないほどの大事故を起こしてしまった。
姉と母の関係
5歳上の姉は結婚をせず、独身生活を満喫していた。
実家で母と暮らし、なに不自由なく家事をすべて母に任せて、すべての時間を自分に使っていた。
母は初めての子育てで、姉を甘やかして育ててしまったと言っている。
ハサミや包丁など興味を持った時に、危ないと言ってすべて取り上げてしまい、母が手をかけすぎてしまったと。
家事をさせなかったのは自分の責任であると言いながら、姉に対しての不満を海が帰るたびにこぼしていた。
姉は恵まれている自分の環境は棚におき、自分は母を面倒をみるために、実家を守るために我慢をして家にいると言っている。
父を早くに亡くしたので、自分が父の代わりに実家を守らなくてはと思っていたようである。
母は姉に対して不満が募り、姉も母に対してイライラするばかりで、ほとんど口も聞かず、干渉せず、母が作る朝食だけ一緒に食べるだけの関係だった。
母と姉は性格がとても良く似ている。
心配性で寂しがりなのだ。
母も姉も結局はお互いのことが心配で、寂しがりなので、文句を言いながらも一緒に暮らしている。
喧嘩のほとんどは、お互いを心配するあまりにお節介が過ぎる為に起こると海は見ていた。
「お姉ちゃんのことは放っておけば良いよ。もう子供じゃないんだから」
「放っておいたらどうなるかわからないよ。海とは違い温室育ちにしちゃったんだから。言ってあげられるのはお母さんしかいないんだよ」
実家に帰るたびにこんな会話をしていた。
そんな姉の生活が一変する。
仕事をしながら、家事、母の介護をしなければならないのだ。
一人でトイレに行けない母なので、姉が家にいる時間はすべて母の介護に取られてしまう。
極端に180度生活が変わってしまったので、姉は追い詰められている。
海と母との関係
母にとって2人目の海は、姉の子育てで失敗したことを教訓に育ててくれたようだ。
子供のころから、家事をよくやっていた。
好きでやっていたのか?やらされていたのか?は定かではない。
19歳で実家を出るときには、
「この家もお母さんの少ない貯金もお姉ちゃんに全て残してあげるつもり。お姉ちゃんはこの家がないと生きていけないと思うから」
「海には何もしてあげられないけど、どこでも生きていけるように育てたつもり。若いうちからしっかりと自分のためにお金を貯めておくんだよ」
「もちろんいつでも帰ってきてもいいんだよ。ここは海の家でもあるんだから」
このことを母に言うと、そんなことを言った覚えはないと言う。
言われた方はかなり真剣に受け止めている。
親に頼らずに生きていくという決意で家を出た。この時に親離れが出来ている。
実家にいる姉よりも母と一緒にいる時間は少ないが母とは趣味が合うので、実家に帰ると一緒に山登りに行ったり、温泉に行ったり、姉よりも濃密な時間を過ごしていた。
姉には話さないようなことも、海に話をしてくれていた。
大人になってからは、親子というよりも同士のような感じだった。
母の介護
姉も海もまったく想像をしなかった形で母の介護がスタートした。
あまりにも大きな怪我で、医者からは「車椅子生活を目標としてください」と言われた。
退院してからの母の生活を考え、家をバリアフリーにリノベーションした。
海も出来る限り日本に帰り引っ越しの手伝い、そして母の介護に協力していた。
2020年は頻繁に日本とアメリカを行ったり来たりする予定だった。
今まで家事もやったことのない姉が、仕事をしながら家事、介護をするのは負担が大きすぎると思ったからだ。
2019年の年末から日本、2020年1月中旬に一度アメリカに戻り、2月にはまた日本。
そしてまさかの新型コロナウィルスのパンデミックだ。
3月3日にアメリカに戻り、そこからは日本に行けない状態でいる。
姉のストレスはマックスに達してきている。
姉は良い意味でも悪い意味でも子供のような人なので、感情をすべてぶつけてくる。
ストレスには強くタフな海だが、姉からの強烈な愚痴・泣き言を毎日のように聞いていたら、帯状疱疹になった。
介護は実際にやっている人にしかわからない。
姉にしかわからない苦労も沢山あると思う。
慰めも、励ましも、鬱陶しく感じるからいらないと言われたこともある。
遠く離れている今は、何もしてあげられない。
姉妹の役割分担
日本に帰れないこの状況もきっと意味があるはずだと思っている。
「あの時にお母さんが死んでたら、悔やんでも悔やみきれなかった。生きていてくれて本当に良かった」
事故の直後に姉が言った言葉だ。
長年、決して良い親子関係だったとは言えない母と姉だった。
日本に行けないこの状態は、もしかしたら二人にとってとても大切な時間に思えてきた。
修羅場をたくさん乗り越えてきた海の方が、母の介護は上手にこなせると思う。
家事も苦にならず、母と食べ物の好みが似ている海の方が、ストレスも感じずに母との生活ができると思う。
でもそれではダメなのだ。
母が姉から子離れをするためにも、姉が母から親離れするためにも必要な時間なような気がする。
今までの関係のままで母が亡くなったとしたら、母も姉も後悔をする。
姉は、精一杯頑張っている。
それでも母がいなくなったら、「もっとしてあげられることがあったかもしれない」と後悔する。
そんな性格だ。
19歳の時に実家を出た海は、常に親との別れを覚悟をしている。
海外で暮らし始めてから、「母の死に目に会えないかもしれない」ということをもっと意識している。
日本に帰る時は、その時に自分の出来ること精一杯をやる。後悔しないために。
今まで母におんぶに抱っこで生きてきた姉は、今のこの試練を乗り越えなくてはならない。
海は今は姉の愚痴を聞くだけしかできない。
きっと姉が乗り越えられた時、日本に帰れるような気がする。
大好きな母との時間を海ももっと楽しみたい。
アメリカに住んでいても親の介護ができるのは、夫、空の理解と協力のおかげでもある。
いつもありがとう。