アラフィフ夫婦 日本に出稼ぎ Part 1

空と海は2015年の7月にアメリカの大都会からど田舎の街に引越した。

理由はストレスに押しつぶされそうになったからだった。

空はこの時、27年以上この大都会に住んでいた。

まったく都会を離れる気持ちはなかった。

というよりも、自分がこの街から離れることを想像できなかった。

 

海はアメリカの短大を卒業しホテルに就職をしたのだが、そこで都会の洗礼をうけることになる。

ここはアメリカ、自分を守るために嘘や意地悪が当たり前の職場だった。

日本にいるときからずっと飲食業の仕事をしてきた。

この街で自分のお店を持てたら・・・と少しばかりの希望を持っていたが、打ち砕かれた。

 

海は限界だった。

からしたら、空も限界に見えた。

体の不調、精神的な落ち込み、都会に27年以上住んでいる空が全く幸せそうに見えなかった。

「田舎に行って、一緒に農業を勉強しない?」

ここから新たな想像もしていなかった人生がスタートした。

 

田舎の洗礼

空と海は農業を勉強するために日本人が経営している農場に問い合わせた。

何度かメールでやり取りをして、実際に何回も農場まで訪ねて行った。

話はスムーズに進み、夫婦2人とも雇ってもらえることになった。

ここでアメリカ式にきちんと契約書を交わすべきだったのだが、お互い日本人という甘えがあり、口約束だけで田舎に引越しをしてきてしまったのだ。

ところが・・・

1ヶ月半でオーナーと大喧嘩をして仕事を辞めることになる。

途方に暮れた。

引越し代もばかにならなかった。

そして夫婦2人とも収入がなくなったのだ。

 

なかなか次の仕事を見つけられず困っている時、きちんとケリをつけてないからかも?と農場のオーナーの奥さん(日本人)のところに謝罪に行った。

何があってもやはり喧嘩は両成敗だ。

すると奥さんが次の職場を見つけてくれたのだ。

6代続くアメリカ人オーナーの大きな農場だった。

グリーンハウスで水耕栽培もやっているから、もしかした1年中働けるかもしれないという期待もあった。

すぐに農場に連絡をし、2週間後の9月から雇ってもらえることになった。

ちょうど夏に働いていた大学生のアルバイトが学校に戻る時期で、人が必要とのことだった。

初めて見る馬鹿でかい水耕栽培のグリーンハウスで2人とも働き出した。

単純作業で面白くはなかったが、なんといっても毎週現金でお給料がもらえる。

たまには少し多めに入っていることもある。

しかし、またもや落とし穴が・・・

「空、海、ごめん10月になると急に仕事が少なくなるんだ。次の仕事を見つけてくれないかな?」

グリーンハウスのマネージャーが申し訳なさそうに言ってきた。

「えーーーーー、やっと仕事が見つかったと思ったのに!!」

またもや1ヶ月半の農作業だった。

 

発想の転換

海は仕事をしながらいろいろ考えた。

いくら仕事がたくさんあるとはいえ、都会に戻るつもりはなかった。

空はわからない。もしかしたら戻ることも考えていたかもしれない。

都会には仕事をオファーしてくれる人もいた。

戻ればなんとか生活はやっていけるかもしれない。

でも海は直感で都会に戻ったら、絶対に幸せになれないと感じた。

「空は日本に引き上げる気持ちはある?」

海は聞いてみた。

「いやないよ。っていうか、日本で暮らすとか仕事をするっている想像ができないよ。」

この空の言葉で海は閃いた。

「日本に出稼ぎに行こう!!」

27年間のアメリカ生活の中で、空が日本に帰ったのは数回しかない。

空が知っている日本と、今の日本はだいぶ違う。

空が日本に適応するかどうか?試してみればいいんだ。

「空、日本に出稼ぎに行かない?冬の間だけでも。こっちにいても冬になったらどんどん仕事は見つからないと思うから。」

二人ともこの時は、農業のことしか頭になかった。

冬になったら仕事を見つけるのは難しい。

「お、新しい発想。面白そうだね。」

空はすぐに乗ってきた。

あとは海が仕事場を探すだけだ。

こうして、空と海の日本への出稼ぎ体験が始まる。