母の誕生日

2月23日は母の誕生日だった。

令和の天皇誕生日で祝日になった。

そして身近に2人も同じ誕生日がいた。ふたりとも今働いている農場に・・・

農場のオーナーマットの奥さんのステファニーと、マットと20年以上の付き合いで、忙しい時に畑を手伝ってくれるメキシカンのミゲル。

不思議な縁を感じている。

 

交流が断絶している姉から連絡があった。

90歳になる叔母の訃報だった。

そして母の現状も教えてくれた。

去年の8月から施設にお世話になっているようだ。

大きな事故で障害者2級になってしまった母は、日常生活を今まで通りに送ることが出来なくなってしまった。

パンデミックが始まる前までは、日本に頻繁に帰り母と姉の二人の生活を支えていたが、パンデミックが始まり、その後、夫の空が仕事を辞めることになり、日本に帰ることが難しくなった。

姉は2年間ひとりで頑張ってくれていたが、肉体的にも精神的にも無理になったようで、母と話し合い、施設にお世話になることに決めたようだ。

 

親孝行ってなんだろう?

母が事故を起こしてから4年半、ずっと考え続けていたこと。

そして最近やっと答えが出た。

自分自身の生命を最大限に使う

母と父から授かった命を余すことなく使い切る。

母と父からだけではなく、ご先祖様からずっと繋げてもらったこの命を大切に・・・という思いがとても強くなった。

こういう気持ちになったのは、協生農法という手法で畑を始めて、生態系を勉強するようになってからだ。

命は繋がっている・・・

 

近くに居ることができるならば、直接的に母のお世話をすることで少しは親孝行らしいことができるかもしれないが、19歳の時に実家を出てから、親の近くに住むことは考えてこなかった。

父は海が11歳の時に病気で他界している。

若い頃は「母の好きなものを買って帰る」「旅行に連れて行く」「母の喜ぶことをする」などと、物質的なことばかり考えていた。

それもそれで良い思い出として残っているので、良い事だったと思っている。

しかし母のお世話が直接的に出来なくなってから「自分に何が出来るだろうか?」ということを考え続けた。

そして叔母の訃報と母の現状を聞いて、心の中にいろいろな思いが湧き上がってきた。

 

亡くなった叔母は料理がとても上手な人で、海が東京で寮暮らしをしていた頃、よく遊びに行って夕食をご馳走になっていた。

叔母と一緒に近くの商店街に買い物に行くのが何よりも楽しく、叔父が帰ってくるのを待って一緒に食事をした。

飲兵衛の叔父に合わせてなのか?夕食はいつも二段構え。

3品も4品もおかずが出てきてお腹がいっぱいになってから、ご飯とお味噌汁とご飯のおかずが出てくる。

寮に帰る際には、たくさんのお土産を持たせてくれた。

この東京の叔母の姉(大叔母)は、海の実家の近くの山の麓の農村で農業をしていた。

子供の頃は月に1度か2度は遊びに行き、その時大叔母はいつも手打ち蕎麦やうどん、揚げたての天ぷらなどを用意してくれていた。

おやつも手作り。手作りの物がなければ、採りたての野菜や果物だった。

大叔母の家の水道は、山からの清水が出ていたのでとても美味しかった。まだペットボトルの水がない時代だったが、家の水と比べても味が全然ちがった。

海が中学生の時に大叔母は癌で亡くなったが、最後まで家の水(清水)しか口にしなかった。

叔父がタンクに水を入れて、毎日のように病院に運んでいた。

 

東京の叔母の訃報を聞いて、今の海がやっている事(農業)は、この大叔母の影響もあるかもしれないと気がついた。

調理師だった父、料理が得意な母の影響で食に対して特別な感情を持っていると思っていたが、祖父母、叔父や叔母、みんなから食=愛ということを教わってきていたのだ。

父方の祖母は大きな家庭菜園をやっていて、夏休みに祖母が育てた甘いスイカやトマトを食べるのがいつも楽しみだった。

毎年新米を送ってくれて、ツヤツヤに光る新米で食べる卵かけご飯はご馳走だった。

今、そしてこれから海がやりたいと思っていることは、今までお世話になってきた人たちの愛がベースにあるということに気がついた。

祖母や叔母たちには何も恩返しが出来ていない。

父や母にも親孝行など出来なかった。

食で人を健康で幸せにする

これがこれから一生をかけてやっていきたい事。

今の海の健康体は、祖父母、父、母、叔母、大叔母から、食で幸せにしてもらって出来た賜物だ。

みんなの命がすべて繋がっていると感じている。

その繋がっているこの命を最大限に使って食で人を幸せにすることが、親孝行、恩返しになるのと信じている。

自分一人だけの命ではない。

若い頃は生意気で、自分一人の力で生きてきたように思っていたが、たくさんの人から支えられて生きてきたとやっと思えるようになった。

 

母の誕生日には「生きていてくれて、ありがとう」という感謝しかない。

母にあと何回会えるだろうか?

たとえ会えなくても、今は魂で繋がっていると確信しているので寂しさは薄くなった。

120%、毎日精一杯生きていくぞ!!