雑草から学んでいること

アメリ東海岸の大きな農場で働いている。

水耕栽培のハウスから念願の露地栽培の部署に移って半年が経った。

この半年でだいぶ成長した自分がいる。

自然からとても大切なことを教わっているからだ。

とはいっても、農業は自然ではない行為だ。

人間が安定した食物を摂取するために、自然だけでは育つはずのない野菜を手間暇をかけて育てる。

野菜たちは手間隙をかけてあげないと育たないが、雑草は何もしなくてもスクスクと育つ。

どんなに邪魔にされようが、引っこ抜かれても踏み潰されても、何事もなかったかのように、また元気よく生えてくる。

ただ生えてくるだけではなく、生き生きと・・・

 

半年前までははっきり言って草むしりは好きではなかった。

種まきをしたり、苗を植えたり、収穫したり生産的な仕事が好きだった。

草むしりは何もすることがない時にしょうがなしやっていた感じだ。

最近は草むしりを楽しんでいる自分がいる。

夏のこの時期はむしっても、むしってもどんどん雑草が生えるので終わりがない。

「今日はここまでやろう!!」

範囲を決めてやらないと、いつまで経っても終われない。

草むしりをしていると、みみず、ダンゴムシ、ムカデ、カマキリ、バッタ、毛虫・・・いろいろな虫が出てくる。

みんな生きるのに必死だ。

大きな人間に見つからないように、殺されないように必死で逃げる。

皆それぞれの仕事をしてくれているので殺さないようにしているが、毛虫は大切な葉野菜をみんな食べてしまうので、遠くまで連れて行き離している。

毛虫は雑草は食べてくれない。

 

雑草はとにかくニコニコしている。

いつもとても余裕である。

海が必死に抜いても、ニコニコしながら数日経つと元気に生えてくる。

そんな風に見える。

そんな雑草を見ていると、「これでイイのだ」とバカボンのパパの言葉が出てくる。

特別なことは何もせず、ただ元気に生きている。

踏まれても、抜かれても、何をされてもニコニコとまた元気に生えるのだ。

生きていること自体が幸せなんだと雑草を見ると思う。

何も特別なことをしなくても、何も特別なことが出来なくても、生きているだけでイイのだ。

日本に帰れない

母の介護ができない

旅行に行けない

友達と会えない

人間はどうしても何かをしようとする。

やりたいことが出来ないと寂しくなる。

でも一番の幸せは、何もしないでただ元気に生き生きと生きていられることなんだと雑草から教わっている。