もう亡くなってしまったが、佐藤初女さんという方がいた。
「おむすびの祈り」という本の著者で、青森県にある「森のイスキア」の主宰者であったひとである。
ある人からこの本をプレゼントされ、大好きなおばあちゃんの一人になった。
初女おばあちゃんは、「面倒臭いと言う言葉は好きではない」と言っていた。
とにかく手間を惜しまずに、丁寧に生きた人であった。
この本を読んでから、「面倒臭い」という言葉をなるべく使わないように生きてきたつもりである。
しかし、ついつい「後でいいか、明日でいいか」と後回しにしてしまう時は、かならず心のどこかで面倒くさいと思っているのだ。
言葉には出さないだけである。
「今」をなるべく意識して生活をするようになった。
その結果、「面倒臭い」が消えてなくなった。
「今」を意識しながら生活をする方法として、すべての行動に対して「今したいか?したくないか?」を自分に聞くようにしている。
簡単なことだが例えば、目の前にゴミが落ちている。
「拾いたいか?拾いたくないか?」
「拾いたい」と思ったから拾う。ただこれだけである。
こういうことを繰り返ししていたら、「面倒臭い」という気持ちが自分の中から消えた。
夫の空から、「コーヒーを淹れてもらえる?今じゃなくて、後でもいいけど」と言われる。
「今やりたいか?やりたくないか?」
いつもこんな感じで自分に聞く。
頭で考えると、余分なことを考えて
「やった方が喜ぶよな〜」
と相手のことを考えたりして、本当の自分に向き合えない。
自分の心や体に聞くようにすると、素直になれる。
そして答えは大体いつもイエス(やりたい)だ。
そしてノーの時は、面倒臭くてやりたくないのではなく、出来ないときだ。
先日、心も体もしっくりしない日が2日くらい続き、どうしても食事の支度をしたくない日があった。
「ごめん、全然やる気が起きないから残り物で食べてもらえる?」
こんなことが素直に言えるようになった。
1日目は残り物。
2日目は仕事もお昼で上がり、久しぶりに近所のピッザリアに食べに行った。
今までもずっと空に「無理をしなくて良いからね」と言われていたが、ついつい無理をしてしまう自分がいた。
今では自分の心と体の反応に素直になり、無理をしないこともできるようになった。
そして気がつくと、「面倒くさいな」と思うことが全くなくなった。
農場での仕事はけっこう面倒くさいことが多いが、まったく面倒だと思わなくなっている。
自分で一番びっくりしたのは、マネージャーのヘザーに頼まれてズッキーニなどのスクウォッシュ類を種類別に箱詰めしたものをやり直した時。
「海、レストランからミックスの箱のオーダーがいっぱい入っちゃったから、作り直してもらえるかな?ごめんね」
20箱ほど作ったのを全部やり直したとき、前だったら「えーーー、面倒くさいな」と思っていた。
でも全く面倒だと思わなかった自分にびっくりした。
すぐにやる、すぐに動くと自分自身も気分が良いし、きっと頼んだ人も気持ちがいいと思う。
感謝されることも、以前より多くなっている気がする。
子供の頃、母親から
「どうせやらなくてはいけないことなら、嫌々するのではなく気持ちよくしなさい」
と言われていたことを思い出した。
「今」を意識して生活をしていたら、「面倒臭いが消える」こんな副産物がついてきた。