主語を自分にすると、愚痴が意見に変わると気がついた

「人をジャッジしない」

こういう風にきめているのだが、自分の物差しで人を測ったり、何事も良い悪いで判断をしてしまう。

どうしたら良いかといろいろ考えて行き着いたのが、主語を自分にするという方法だ。

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働いてる農場には今、大学生、高校生の若いアルバイトの子達がたくさんいる。

今までは、やりっ放しの子達がほとんどだったが、今年入ってきた子で、きちんと後片付けが出来る子がいる。

アメリカ人は後片付けをしないのが当たり前?と思っていたが、家庭環境でぜんぜん違うということを知って、日本と変わりないことを感じた。

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一番自分の近くで働いている子3人のうち、2人はやりっ放しはもちろん、仕事をしてくれない。

自分の仕事以外、いつも海が彼女たちの仕事もやらないといけないのでついつい愚痴が出てしまう。

主語を自分にする」ことで愚痴を言わないようにすることを解決をした。

たとえば

「彼女は掃除もしないし、後片付けもまったくしないから、いつも私がすることになって嫌だ」

これを人に言うときは

「私はいつも掃除や後片付けをしている。自分の仕事が忙しい時はとても大変で、たまに嫌になってしまう」

もっと簡単に言うと

「私は人の仕事をするのが嫌だ」

と、自分の思いだけを人に伝えれば良いのだ。

自分が言いたいのは、人の代わりにいつも片付けをしなくてはいけない現実とそれが嫌だということ。

それをわざわざ、誰々がやらないから・・・とか、彼女がやるべきなのに・・・と言わなくていいのだ。

悪い出来事を人に伝えるとき、主語を他の誰かにするとかならず悪口や愚痴になってしまう。

その時に主語を自分にして伝えることに変えると、自分の意見や主張に変わる。

 

Aさんが万引きをしているところを見てしまった。

それを人に言う時

「Aさんが万引きしてたよ」

「私はAさんが万引きしていたのを見た」

これは私だけの感覚かもしれないが、最初のAさんが・・・という方は悪意を感じてしまうが、私は・・・の方は見たという事実を伝える(報告)だけに聞こえる。

これはちょっと微妙な例えかもしれないが、主語を自分に変えると伝え方やニュアンスが変わる。

もちろん人を褒める時や、良いことを伝える時は、自分以外を主語にしていいが、

「Aさんは私の代わりに掃除をしてくれたんだよ」より、

「私はAさんに感謝している。私の代わりに掃除をしてくれたから」

のほうが、自分の思いも乗せられてもっとAさんの良さが人に伝わるような気がする。

 

自分を主語にしていつも話すようにすると、愚痴や悪口がなくなると感じている。

自分軸で生きる

もしかしたら、こういうことかもしれない。