人の為=偽り
人のために何かをするということは、本当の自分ではないということ。
人のために何かをやるのは良いことだと思いがちだが、実は自分を偽っているだけかもしれない。
こんなことを頭で理解していても、なかなかしっくりこなかった。
でも最近、はっきりとこのことが腑に落ちた。
海が働いていてる農場のトイレは汚い。
屋外イベントなどに使われるような簡易ぼっとんトイレは、1週間に1回取り替えにきてくれるので比較的綺麗なのだが、なんせ体から出たものが全て見えてしまう。
従業員休憩所になっているトレーラーハウスのトイレは・・・
海の知っている限り、中南米の人たちはトイレットペーパーを流さない。
使ったペーパーはゴミ箱に捨てる。
農場のメキシカンの人たちも流さずゴミ箱に捨てる。
だからアッという間にゴミ箱はいっぱいだ。
小さなゴミ箱から大きなゴミ箱に替え、すぐに捨てられるようにゴミ袋も用意した。
日本人が綺麗好きなのか?メキシカンの人たちが無頓着なのか?掃除をしていない汚いトイレでも、みんな平気なようだ。
1週間に1度、厳重に手袋をしてゴミ袋を変えるのは海の仕事になった。
「なんで誰も掃除をしないんだろう???」
今まではちょっと不満だった。
トイレ掃除をみんなのためにやっていたからだ。
誰かのためにやると、不満が出る。
「なんで私がやらなくちゃいけないの?」
こういう気持ちが湧いてきてしまう。
そして休憩所のトイレを使うのをやめた。
しばらくぼっとん簡易トイレを使っていたが、あまりにも暑い日には入る気にならない。
特殊な液体のおかげで匂いは全くしないのだが、サウナのような、しかもう○こが丸見えのぼっとんトイレに足が向かなくなった。
休憩所のトイレに行ったら、トイレットペーパーが溢れて酷いことになっていた。
そこで考えを改めた。
「自分が気持ちよく使うために掃除をしよう!!」
オフィスの綺麗なトイレからトイレットペーパーのストック、ゴミ袋のストック、手を拭くためのペーパータオルをたくさん持ってきた。
そして週に1度ゴミ袋を変えるのと、便器も掃除をすることにした。
気分が良い。
人のためじゃなくて、自分のためにやると気分が良いのだ。
トイレ掃除をしたくないのであれば、オプションはある。
汚いのを我慢して使う。
ぼっとんトイレで我慢をする。
オフィスの綺麗なトイレを使う。
近くのガソリンスタンドまで行って用を足す。
休憩所が出来る前はオフィスのトイレをたまに使っていたのだが、休憩所が出来た時に「休憩所のトイレを使うように」とアナウンスがあった。
そしてコロナ感染者が農場に出てから、オフィスのドアはロックされ、オフィスの人とマネージャーの人だけしかロック解除の番号を知らされなかった。
今はロックはされてないのでたまには綺麗なトイレを使わせてもらうこともあるが、なんとなく気が引ける。
トイレ掃除は自分の徳を積む
自分の家のトイレの掃除では小さな徳しか積めないが、公衆トイレやデパートなどたくさんの人が使うトイレを掃除すると大きな徳が積めるらしい。
有名になった人や大金持ちになった人でトイレ掃除をやっている人は多い。
「自分の徳を積むためにトイレ掃除をしよう!!」
そう思ったら、全く嫌じゃなくなった。
やっと体験から学ぶことができた。
人のためは偽り。
これからは自分のために行動を起こそう。
自分が嬉しいこと、自分が喜ぶことに意識して行動しよう!!