昭和時代の「特別の日」を思い出す

先週、農場で一緒に働いているメキシコ人、メルセデスの誕生日だった。

たぶん34歳になったと思う。

16歳で最初の子供を産み、今では3人の子供のお母さんだ。

彼女の旦那さんも部署は違うが農場で働いている。

夏休みになると、子供たちもアルバイトにくる。

彼女と彼女の家族をみているととても微笑ましく、懐かしさそして、昭和を感じる。

忘れてしまった大切なことを、彼女と彼女の家族を通して思い出す。

誕生日プレゼント

メルセデス家族は、本当に仲が良い。

子供達は毎年アルバイトで貯めたお金で、お母さんにプレゼントを用意している。

去年、16歳だった息子からiphoneをプレゼントしてもらったと喜んでいた。

月曜日の今日、メルセデスはいつもと違った。

洋服も靴も新品だ。

誕生日のプレゼントだとすぐにわかる。

彼女たちは普段は贅沢はしないが、誕生日など「特別の日」をとても大切にしている。

子供達の誕生日には、彼女は腕を振るってご馳走を作る。

彼女の一番下の子供と1日違いの誕生日だ。

去年の誕生日に彼女の娘のために作った、手作りフラン(メキシコのプリン)をおすそ分けしてもらった。

今日のメルセデスは、家族からもらった誕生日プレゼントを身につけ、いつもよりおしゃれで可愛いかった。

 

子供時代、洋服は誕生日の時か、ピアノの発表会のような特別な日にしか買ってもらえなかった。

普段はおさがりだ。

まだ着られる”お古”が近所から、母の友人の家から回ってくるのが当たり前だった。

お転婆だった海は、「アディダス」や「プーマ」のトレーナーを買ってもらえるのが何よりも嬉しかった。

大切に着た。

物に溢れている今の時代は、いつでも洋服を買える、買ってもらえる。

今の子供たちはおさがりを着ることはあるのだろうか?

新品の洋服を買ってもらえる嬉しさを味わっているのだろうか?

 

誕生日のごちそう

海が誕生日の日に母におねだりしていたのは、オムライスだった。

ケチャップで名前を書いてもらうのが嬉しくて、オムライスを作ってもらうのが本当に楽しみだった。

外食をするのは稀だった。

ましてや、誕生日に外食をするなんて子供の頃は全くなかった。

母の手料理、愛情料理で祝ってもらうのが当たり前だった。

誕生日に外食をするようになったのは、高校生(平成時代)になってからだった気がする。

 

「特別」なことが少なくなった今

昭和の時代は、「その日」にしか食べられない料理、「その日」にしか買ってもらえないもの、「その日」にしか体験できないことなどが多かった。

今の時代は、いつでもご馳走が食べられ、いつでも洋服を買ってもらえ、いつでも外食ができる。

「楽しみでワクワクが止まらない!!」

「嬉しくてじっとしていられない!!」

「ありがとう、一生、大切にします!!」

子供の頃、特別の日にはいつもこんな感情になっていた気がする。

特別なことが、当たり前になってしまった今は「有り難さ」が薄れてしまった。

感謝の反義語は当たり前だ。

すべてが当たり前になってしまったから、感謝の心が持ちにくくなっている世の中だ。

 

メルセデス家族は、懐かしい昭和の時代を思い出させてほっこりとした気分にさせてくれる。