35歳の冬、海は東京赤坂のアメリカ大使館にいた。
学生ビザを取るためだ。
少しだけドキドキしていた。
21歳で初めてアメリカ生活をした時に6ヶ月の違法滞在になってしまったからだ。
もちろんわざとではない。
でも学生ビザが取れるかは分からなかった。
まだ若かった海は、人を見る目がなくビザを用意してくれるという大人を信じて、ビザを取らずにアメリカ生活を始めてしまったのだ。
アメリカに着くまでの道のり
アメリカ大使館で海の面接順番が回ってきた。
とびっきりの笑顔で挨拶した。
海の笑顔はスルーされた。
「1994年あなたは何をした?」
最初の質問がこれだった。
「違法滞在しました。もちろんわざとではありません。ビザを手続きしてくれると言われていたのですが、気がついた時は違法滞在になっていました。」
「わかった時に、すぐに日本に帰ってきました。」
隠さずに自分から違法滞在をしたということを言ったおかげか?その後ありきたりな質問をされ、無事にビザを取得することができた。
2008年1月、海は安い航空チケットを買って日本を発った。
海は違法滞在をした94年に日本に戻り、その後96年に1度アメリカに行っている。
今回居候させてもらう友人の結婚式に出席するためだ。
普通は入国できずに強制送還させるらしい。
入管管理局ですべての荷物をチェックされ、飛行機の中で書いていた手紙も読まれ、本当に観光なのか?を入念に調べられた。
結果、入国を許されたのだ。
裸にされ身体検査をされなかっただけラッキーだった。
あれから14年経っている。
もうすんなり入国できるか?と期待した。
長い入国管理局の列に並び、やっと海の順番が回ってきた。
「無事に通過できますように!!」
またもとびっきりの笑顔で挨拶をした。
ここでもスルーだ。
笑顔はあまり効力がないようだった。
「ちょっとここで待っていて」
入国管理官の人がどこかへ行ってしまった。
戻ってきた管理官は「ついてきて」と行って、海は違う場所へ連れて行かれた。
通称「お仕置き部屋」だ。
問題がある人は皆、お仕置き部屋行きだ。
アメリカ大使館の面接の時と同じ質問をされた。
「1994年、あなたは何をやった?」
また素直に違法滞在をしたことを伝えた。
自分から伝えると面接官の雰囲気がガラっと変わる。
「なんで違法滞在なんかしたの?」
優しく聞かれた。
「ビザを用意してくれるというのを信じたら騙されたんだよ」
海もフランクに答えた。
「OK」
なんだか簡単に書類に何かを記入して入国を許された。
「あ〜よかった!!」
やはり無事に入国ができるまでいつでもドキドキだ。
このお仕置き部屋行きは、グリーンカード(永住権)を取るまで続く。
留学生になるために用意したもの
留学生になるにはなんといってもお金が必要だ。
学校に通えるだけ、滞在できるだけのお金を持っているという証明をださなければいけない。
ようは見せ金だ。
海が用意できたのは200万円。
学校によるのかもしれないが、海に必要だった見せ金は200万円だった。
そして普通の人には当たり前のものかもしれないが、海にとっては初めての所持品。
パソコンだ。
海は日本にいるときは、携帯電話もパソコンも持たない超アナログ人間だった。
まったく必要としない生活をしていたのだ。
留学手続きをするのには、すべてコンピューターが必要だった。
使い方もろくにわからないまま日本で東芝のラップトップを買い持ってきた。
実際にコンピューターが出来ないと、学校の宿題ができない。
語学学校ではそれほど必要ではなかったが、短大(コミュニティーカレッジ)では、宿題やレポートの提出、コンピューターがないとできない。
もちろん学校の図書館に行けば、コンピューターはかなりの数揃っている。
コンピューターの使い方がわからないので、学校のコンピューターを使い教わりながら宿題をすることが多かった。
英語を勉強する前に必要だったのは、コンピューターの使い方だった。
こうやって35歳になってから、語学学校から短大(コミュニティ・カレッジ)へと、留学生生活が始まった。
勉強が大嫌いだった海が、テストが終わるたびに知恵熱を出し、なんとかアメリカで短大を卒業した。
一生の中で一番勉強をした4年間だった。